チベット、ラサ

昔、ヒッピー気取りで旅をしていた頃の話。ネパールの首都カトマンズでの私の常宿はタメル地区にあるYAKU LODGE という名のゲストハウスだった。1階はYAKU RESTARANTという レストランで2階は事務所やオーナーの部屋、3階から上が客室となっていた。

1階はチベットレストランで店内にはダライ・ラマの肖像写真が飾られていた。従業員は皆チベット人で、おそらくチベットから避難してきた者やその家族であると思われる。

店を取り仕切っているのは50才くらいのおばさんでいつも店内で従業員に指示を出したり自らも忙しく働いたり、ときには一番奥のテーブルで帳簿のようなものを付けたりしていた。サバサバしていて余計な干渉もしてこない人だった。

はじめてそのゲストハウスを訪れたときも、普通ならば宿泊料金は交渉して決めるのだが そのオーナーと思われるおばさんは先に相場より安い料金を提示し 私がもっと安 くしてもらおうと交渉を始めようとしても交渉には乗ってこなかった。

宿泊している部屋は豪華でもないしお洒落でもないし、どちらかといえば古くて簡素なものだったが清潔に保たれていた。1ヶ月ちかくそこで暮らしていたが廊下、階段でそのオーナーや従業員に会うことは一度もなかった、しかし廊下や階段はいつも綺麗に掃除されていた。

2度目からの訪問のとき、空港やバス停からタクシーに乗りそのレストランに直接行く。レストランに入るとオーナーを探し頼み込む。

「部屋が開いてたら貸してほしい。それから、いまバスでインドから帰ってきたばっかりでお金をもってない。明日払うからゴハンを食べさせてもらえないか」

おばさんは そんなつまらないことを悲壮な顔で頼むな とばかりに笑い飛ばしながらこういってくれる。

「どうぞ好きなだけ食べて下さい、私はアナタのことをとてもよく知っている。部屋なら○○号室なら空いているからそこでよければ後でカギを渡す。食事の代金は明日でもいいし部屋を出るときでも良い」

貧乏旅行者というのは通常あまり信用されない。現金を持たずに食事するなどというのは不可能に近い。狭いバスや飛行機の座席での長時間の移動で疲れ切っている私にとってYAKU LODGE とその女性オーナーは最高の安らぎを与えてくれた。

店はおそらくその女性オーナーとその一族の者で経営しているのだろう。20台半ばくらいの娘や息子、もしかしたら息子の嫁や娘婿などで店を切り盛りしていた。おそらくその家族は亡命チベット人で、私が想像するに色々と大変な目に遭ってきたに違いない。祖国を追われ、隣の国で家族みんなで頑張って生きているのだろう。

小柄で少し痩せていて、黒い髪を後ろで束ねただけで化粧っ気はまったくないがどことなく品のある、どんな相手にも媚びることもなければ横柄に接する事のないYAKU LODGE のチベット人オーナーのおばさん。
あのおばさ んは今でも元気なのだろうか。そして昨日のラサでの事件をどんな思いで見ているのだろうか。