35年ほど前のこと。当時の私はヒッピー気取りで旅をしていた。ネパールの首都カトマンズに日本食レストランがあると聞き行ってみることにした。日本を離れて数カ月、日本食が恋しいというよりは日本事態が恋しかったのかもしれない。店に着いて「トンカツ定食」を注文し、店内を見渡してみるとその店を訪れた旅人が書いたものと思われるノートがあった。
199〇年〇〇月〇〇日
10日間のヒマラヤトレッキングから帰って来ました。キツかったー!でもまたいつか来るかも。明日帰国。
199×年××月××日
バスターミナルからタメル地区へのタクシー料金は300円くらいが相場です。
トレッキングは1週間で$200 くらい。
みんな、ボッタクリに注意!!
ポカラへ行くバスはツーリストバスとローカルバスがあります。少し高いけど絶対ツーリストバスをえらんでね!
199△年△△月△△日
昼間に声を掛けて来た男の子が街を案内してくれると言ってきた。警戒しながらもカフェや土産物屋、ちょっとした宗教施設に一緒に行く。夕方一緒にお茶を飲んでいると甘い眼差しで「I Love You」と何度も囁いてくれた。
恋人になれなかったローカルの男の子、いい男になるんだよ♪
インターネットの無い時代、旅人たちは自分より後に来る者に有益な情報を残してくれていた。日本から遠く離れた異国の地で久しぶりに見た日本の文字。先人たちの生々しい足跡。私はずいぶんと長い時間そのノートを見ていた。そして、そのノートで何人かが書いてあった「チベットから自転車でき」たという手記。どうやら当時、高地であるチベットから何日か掛けて自転車で下って来るという旅をする者がいたようだ。
予定のない旅をしていた私はそんな旅に興味を持ち、その街で懇意にしていた旅行会社のオフィスを尋ねた。社員を質問攻めにしたところ、その会社の社長が何軒かの知合いに電話して確認してくれた。社長曰く、チベットのラサにまで行けばなんとかなるらしいとのことだった。国境までは自分達が送り届け、国境の街で現地にある旅行会社と交渉しラサまで行けるよう手配するとのことだ。費用を尋ねると「詳しいことは判らないが高くはない」という返事が。私はその翌々日に旅社が手配してくれたオフロードタイプの車で国境の街に向かった。
そこが先日、濁流が押し寄せ大きな被害を出した「ラスワガディ」という街だ。
35年前の私に話を戻すと。国境の街に着いてみるとそこはトラックや多くの人で混雑していた。旅社の社員がいろいろな人と話し情報を集めをしたところどうやら国境が閉まっているらしく少なくともあと3日は開く予定はないという。理由を尋ねてもだれも教えてくれない。私なりの勝手な解釈だが、当時、亡命チベット人が問題になっていたのではないだろうか。中国のチベット侵攻という事件からそれほど日が経っていなかった。
なんのチカラもツテもないちっぽけな旅行社である私にはどうすることもできない。旅社の社員とまた6時間掛けて来た道を引き返した。「旅とはそういうものだ」そんな教訓を得ただけの出来事だったが、その35年後にまたその街の名を聞くことになるとは夢にも思わなかった。どうか皆さん無事でいてください。少しでも早い復興をお祈りします。