シャブの国の人だから

去る25日は尾崎豊の命日であったらしい。私はそのことを日々巡回しているブログのいくつかで知った。私自身は尾崎の歌を聞くことも少なかったしファンでもなかった。しかし私の周りにも当然のように尾崎ファンは多くいたし未だにカラオケに行くと深夜になると尾崎を歌いだすものまでいる。いつの間にか神格化されてしまった尾崎の話や伝説を聞いていると私自身も尾崎豊に対して良いイメージを持つようになっていた。

先日訪れたブログで尾崎の記事を読み、そして久しぶりに尾崎を聞いてみたくなりYouTubeで「僕が僕であるために」を見てみた。その感想は








けっ、ポン中が!!








ちなみに「ポン中」とは覚醒剤中毒のことで通常はシャブ中と呼ばれるのであるが年配の方や大阪ではポン中という言葉がよく使われる。


世間にはかなりの数のシャブ中がいて私も何度かそういう人間を目の当たりにしたことがあって、私がみたYouTubeでの尾崎は もう見るからに典型的なポン中の顔をしている。

それをまぁ、良いという者や神格化して見る者もいるのだろうが、どうにもそのポン中独特の物事を突き詰めるところとか壮絶な雰囲気とか悲壮感とか猜疑心の強さとかそういったものがほんとうにもう堪らない。テレビやステージの上にいる姿をみるだけなら良いのかもしれないが、あんなのが身近にいたら「頼むからもう死んでくれ」としか思わないだろう。

思うにこの国の人間ほど覚醒剤が好きな国民はいないだろう。法律でも厳しく取り締まられているのに一向に逮捕者は減らないし、そもそもあんなモノは簡単に作れると思うのだがヨーロッパやアメリカではそれほど問題にはならず他の麻薬の方が深刻な被害を出している。

おそらく覚醒剤という薬物がこの国の国民性に合っているのだろ。そして実際に覚醒剤を使用しない者達にとってもそういう素地があるからこそポン中の歌う歌に共感し感動するのだろう。

まったく、どうしようもないな〜。。