孤独なよそ者

 コロナ禍が終わったような賑わいである。私もそれに釣られて何度か飲みに出かけたりした。コロナ禍で少々やさぐれていたのか、友人たちとサケを飲むと盛り上がってしまい帰りが遅くなる。

 友人たちが一緒にサケを飲み楽しそうにしてくれる。また近いうちに会おうと言ってくれる。私は自分のことを「孤独な変わり者」だと自覚していたのでそんなふうに言われると涙が出るほどうれしい。

 どうなのだろう。コロナは収まるのだろうか。そして私は普通の人として、人の輪の中で生きていけるのだろうか。

 

 

www.youtube.com

利に聡い

 私は利に聡いタイプの人間だ。自分でもそう思っているし周りの人も私をそうみていると思う。若い頃からあまり損をした記憶がなく友人や知人を見て「もっと上手く立ち回ることができるのに・・・」と思っていた。

 私の価値基準は損か得か、効率的かそうでないか。そんな感じだった。或るいみ損得勘定を隠さずに生きて来たともいえる。そんな私が近頃どうやらこの生き方が間違いだったと思い始めている。なぜなら成功もしていないし幸福度も低いからだ。あくまで自己基準であるが。

 もっと愚直に生きればよかった。

平屋

 近頃の私は千昌夫の「北国の春」のような気分なのである。故郷に帰りたい。しかし帰れない。そんな葛藤を日々続けている。そんなふうに書くと生まれ故郷から遠く離れて暮らしているように思われるかもしれないが、実家と私の家はクルマで20分ほどの距離だ。

 なにゆえ望郷の念が湧いたのかと言えば先日同窓会に出席したからだ。物心付いたころから知っている友人たちとサケを飲み、色々なことを話した。みな大人なので気軽には言わないが私に帰って来いというようなことをいう。

 『親の遺産に土地を貰って、平屋を立てて暮らせよ。大阪で平屋暮らしは贅沢だぞ~!』

 私にそう話す2人の友人は平屋で、しかも3世代同居である。昔ながらの日本の家族の形を都会で実践している。職業はただのサラリーマンなので固定資産税は苦しいだろうが、そんな生活に憧れてしまった。今の私には難しいことだ。あいつらみたいな生き方を選ぶべきだったかなどとも思う。。

あおい

 昨日のこと、車を運転中おおきな交差点で信号待ちをしていた。高校生くらいの男の子2人が車の途切れるのを待っている。どうやら横断ではないようだ。男の子たちの視線の先には茶色い布のような何かが。おそらく落とし物か、それとも風で飛ばされた小物を取りに行くのだろうと眺めていた。車が途切れると1人が上着を脱ぎそれを手に2人で交差点の真ん中に歩き始めた。私が布切れだと思っていたのは車にひかれた子猫で、少年はその亡骸を上着で包んで歩道まで運んだ。その後どうするのかは知らないがなかなか真似できることではない。なにか役に立てることはないかと考えたが私にできることはなにもない。そのまま信号が青にかわった瞬間に車を走らせた。

 その後しばらく複雑な心境でいた。実は1週間ほど前、雨の日に車を運転していたときのこと。歩道を歩いていたお爺ちゃんが転んだ。傘を持っていたせいで上手く受け身を取れなかったようだ。「どうしよう」と思っていると私の後ろの車の運転手が車をおりて駆け寄った。様子を見ているともう1台後ろの車からも人がおりてきてお爺さんを助け起こした。モロに顔から転んだのだろう額が切れて血を流していた。最初の1人がスマホを取り出し電話している。おそらく救急車を呼ぶのだろう。私はそのまま立ち去った。後に残ったのは自己嫌悪だけだ。

 雨のなか車から降りて、ズブ濡れ、血まみれになって人助けすることを躊躇した挙句の自己嫌悪・・・。私はそういう人間だ。

隣の芝生

 私は3人兄弟の末である。姉と兄がいるのだが、どちらも子供を2人育て、既に学校を卒業し働き始めている。両家共にそれなりに立派な家に住んでおり子供たちにとっても居心地がいいのだろう、親と共に暮らしている。

 幸いなことに甥っ子も姪っ子もそれなりの職に就くことができ、日本人として平均的な収入を得ている。もちろん私の姉兄たちも現役で働いていて、それなりの年なので年功序列型社会人としてかなりの収入を得ている。

 まだ若かった頃、安月給で子供2人を育てるのはかなり大変そうに見えたが今となってはあの頃が嘘のようだ。平均的収入の者が1世帯の中に4人いる。世帯収入として考えた場合、毎月とてつもない金額が入って来ることになる。

 人間コツコツと真面目に、そして皆と同じような人生を歩むのが勝ち組への道なのだろう。彼らを見ているとなんだか焦りを感じる。