少し前のことであるが、50歳になった。
内容がどうかは分からないが、年齢的にも外見的にも立派なオヤジだ。
そして思う。「自分がなりたかった50歳とはゼンゼン違う」と。
もっと若々しくてカッコイイ50歳になりたかったワケではない。ダーク系のスーツが似合う渋い50歳になりたかったワケでもない。もっと言うなら人生を楽しんでいそうな素敵な50歳になりたかったワケでもない。おそらく50歳になんかなりたくなかったのだし、なるにしたってもっと無茶苦茶などうしようもない、世間から後ろ指さされるような50歳になりたかったのだと思う。
健康になんか一切気を遣わずに不健康に暮らしてきた。サケだっていつも無茶飲みして酔いつぶれてた。タバコだって毎日2箱は吸っていた。アル中になっても良かったしもっとヒドイ物の中毒で死んでも良かった。身の危険にだって無頓着だったのだから事故や事件に巻き込まれて死んでもしょうがないと思っていた。
ノストラダムスの予言とおり1999年に人類が滅亡してもいいとずっと思っていた。
それなのに、まさかこんなどこにでも居るような普通のオヤジとして50歳を迎えるとは・・・。
昨日、30代の頃に付き合っていた彼女の家の前を通った。
私の人生で一番長い期間 一緒にいた相手であり、私に一番 影響を与えた女だ。
当時は Oasis というイギリスのバンドが流行っていて、2人はその刹那的な詩やメロディーに夢中だった。 彼女は私に対して「Slide Away」という曲のように人生を滑り落ちて行き付くところまで行って一緒に死にたいと望んだ。
私もそうなることを望みつつもそんな過剰な彼女にはついて行けず、そして一緒には無理でも、彼女だけでもと 「Live Forever」という曲の詩のように「彼女の幸せな老後なんか見たくない」と思っていた。
実際、彼女はとても長生きできるように思えなかった。30歳を迎えることも無理だろうと薄々思っていたし何度も死の淵を彷徨うようなこともあった。そんな彼女も今では40歳を過ぎて2人の子供までいる。
今はもう歩む道が違っていて会うこともないが、お互い年を取って、そして幸せに過ごしている。
たぶん彼女も思っているだろう。こんな風になるとは思っていなかったと。
今では老後に備えて貯金したりしている。 20年前はどうしようもないガラクタだった私が。。