ダメな自分

 近頃少しばかり生活に余裕ができたせいか、なにか新しいことを始めたいと考えていた。バイクでも買って長距離のツーリングにでも行こうかと半分本気で考えたりもしていたが、私が最終的に選んだのは英会話を習いに行くことだった。
 今から25年ほど前はヒッピー気取りで長期の貧乏旅行に出かけたりもしていたがその当時から英語はあまり得意ではなかった。今から思えば若さ故の無鉄砲というやつか、簡単な単語とゼスチャーだけで数か国、数か月の旅を乗り切っていたのだかた呆れるばかりだ。
 何故今頃になって英会話を習おうと思ったかというと、近頃 短期&近場ではあるがわりとよく海外旅行に出かけるようになったからだ。昔から得意ではなかった英語が更に錆びついているし、図々しくも相手に推測してもらうような意思疎通の方法がなんだか申し訳なく感じるようになったのは私が大人になったせいかもしれない。
 そんなワケで4月から英会話教室に通っているのだが、これがどうして、想像を絶する難しさである。

 当年取って51歳。普通に生きていればそれなりに人から尊重もされるが、こと教室の中ではただの冴えないおっさんである。ときには私のあまりの出来の悪さにアメリカ人講師が苦笑いしながら頭を抱えるようなこともある。そんなときは一生懸命教えてくれている講師に対して申し訳ないような気がしてとても心苦しいので予習復習は必要以上に時間を掛けるようにしている。
 そんな風にして習い始めた英会話ももう少しで3ヶ月になろうとしていて、いま少し壁にぶち当たりつつある。若いころならもっと順調にボキャブラリーを増やして行けたんだろうか。文法も上手く覚えて使えているのだろうか・・・。

 そんな風にかなり苦労をしていて日々のレッスンや宿題がかなりのストレスになっていて、軽く体調不良をおこしたりしながらもギブアップしないのは1年分の授業料を一括で払っているおかげである。そしてそんな風に苦労している自分を見て思うのである。
なにか新しいことを始めるととことん自分の無能さを思い知らされる。これは毎日同じことの繰り返しからは決して見えてこないものであって、そういうダメな自分をしっかりと見つめるのもそう悪いものではない。
 少しずつではあるが進歩はしているし、この年になっても少しずつ成長していけるということを実感できるのは素晴らしいことだと思う。
もうすこし、もうすこし。