You may say I'm a dreamer. (イマジンの一節)
先日の川崎市通り魔殺人事件において被害を受けられた方々には心よりのご冥福とお見舞いを申し上げます。
通り魔殺人というのはこれまで何度も起こった事件であって、その被害者の多さで事件の大きさを計ることはできないのはもちろんのことである。そしていつもどうすすればこのような事件を防ぐことができるのか、また被害に遭われた方々やその家族の心情に重きを置いた報道がなされる。
私はこのような事件を見たときにいつもこう思うのである。私自身が被害者、加害者どちらの立場になる可能性もあったと。被害者も加害者も私の分身であるような、そんな気持ちになる。
人生の過程においてどのような目に遭ったとしても、見ず知らずの人を攻撃するようなことをしてはいけないのは当たり前のことだが、それでも一つ間違えれば私自身があの加害者のような立場になっていた可能性はある。
世の中から虐げられて、周りの人から冷たくされて、独りぼっちで泣いた夜を経験したことはないか。私にはある。
私は何度かそんな困難な時期を経験した。人生はクソだと思ったし生きてることを辛いと思った。
通り魔事件と言うのは決して一人の狂った人間が善良な市民に無差別に襲い掛かる事件ではない。その1人の犯罪者は世間を構成する私たち全員が作り出したものであるし、そういった困難に直面している人々に手を差し伸べるのも大切なことだし、そしてなにより、そんな困難な状況に陥らないよう誰もが生きていて楽しいと、幸せだと実感できる社会を作ることが重要だと思う。
そしてそれは社会というものを構成している私たち1人1人の責任なのだ。