映画「ノルウェーの森」を見てきました

昨日、仕事が終わってからレイトショーで鑑賞。正月明けの平日、木曜日の午後9時過ぎからというなるべく人の少なそうな時を選んで見に行ったのは、なるべくゆっくりと見たかったから。そして予想を超えて映画館は私1人の貸切り状態だった。私がいなかったら上映することもなかっただろうし、広い映画館の真ん中に1人で座って大きなスクリーンで映画Ⅰ本を見るというのは贅沢なことなんだろうけど「エコじゃないな〜」なんて思ってました。

そもそもこの映画、酷評が目立ちます。それでもまぁ、昔に小説「ノルウェーの森」を読んでそれなりに感銘を受けた者なら必ず見るだろうし、ある意味最初からヒットを約束されたようなもんです。私の場合は、私のお気に入りブロガーの中にこの映画の感想を書いた方が2人いて、その2人ともがさんざん悪口を書いて、だけど最後に「見て良かった」「言い映画だった」と締めていた。

おそらくもう、これほどの名作小説は読手のアタマの中にその世界観というかイメージのようなモノが完全に出来上がっていて、そのイメージと実際の映像の差に失望するしかないんじゃないかと思う。そして私もやっぱり自分のアタマの中のイメージと実際の映画とのギャップに失望した。

映画を見ている最中は「この脚本監督を手がけた人は小説をちゃんと読んでないんじゃないかな」というふうに感じた。この映画の監督は外国人で、小説もおそらく翻訳されたものを読んでいるから伝言ゲームのように少し趣旨が変わっていたのかもしれないし、この映画を世界中の人に見て貰い海外での賞を受賞するためにといった大人の事情なんかも絡んでああなったのかとも、それならそれでしょうがないのだが・・・・。

そもそもこの映画、原作を読んでいない者には意味がわからないんじゃないだろうか。この映画が何故「ノルウェーの森」というタイトルなのかさえ理解できないだろうし。
しかし原作を読んだ者ならばその各シーンのイメージ映像として楽しむことができその点は良かったと思う。私としては映画の中で少ししか出てこなかった突撃隊や療養施設の門番さん、それから緑のお父さんの登場が少し嬉しかったりもした。

私のお気に入りブロガー2人は2人とも直子が死んだ後のレイコさんとの場面に酷く憤りを感じているようだ。2人はそれぞれこう書いていた。

レイコさんと二人で直子のお葬式を行ったときに、すき焼きを食べたはずなのになぜあんなわびしい食事なんだ。そしてレイコさんが知ってる限りの曲をギターで弾き、最後にノルウェイの森を弾く。あの場面こそ、この物語の中でもっとも大切な場面ではなかったのか。そこをなぜすっ飛ばしてしまったのか。


レイコさんに関しては、「かわいそう」というか「原作のレイコさんに失礼だろ」としか言いようがありません。「レイコさんを救う会」を作りたいくらいですよもう。
あれじゃあ、単なる色情狂じゃないか……


私はもうこの辺りになるとこの映画を単なる「ノルウェーの森のイメージ映像」と捉えていたから冒頭のインスタントラーメン辺りで「あぁ、ここは飛ばす場面か」と割り切って見れたのですが。
私なりに私のイメージする「ノルウェーの森」と比べてどうしても譲れなかったところは、直子との散歩シーンと緑を演じた女優さんだったと思います。

緑はもっと表情豊かな女の子であって欲しかった。小説の中で緑が自分だけを選んでくれないワタナベくんに「私はお買得品だよ」みたいなことを訴えるシーンがあったと思うんだけど(うろ覚えだから間違ってたらスイマセン)緑はもっと真っ直ぐに主人公に関わってきたように思う。
そして私なりに1番重要な所は。主人公が直子の死後、直子のことを思い出すと自然と直子の横顔をイメージしてしまう。それはいつも並んで歩いていたからだ。
そして「私のこと忘れないでね」と主人公にお願いするところだ。



これで今日の日記を締めようと思っていたが、ついでだからもう1つ
ワタナベくんは「グレート・ギャツビー」とか「車輪の下」を読むような青年で、あんなニヤケたやつじゃねーよ、バカヤロ〜!!

いやまぁ、だけど、あの映画、見て良かったですよ(笑)