You may say I'm a dreamer. (イマジンの一節)

 先日の川崎市通り魔殺人事件において被害を受けられた方々には心よりのご冥福とお見舞いを申し上げます。

 通り魔殺人というのはこれまで何度も起こった事件であって、その被害者の多さで事件の大きさを計ることはできないのはもちろんのことである。そしていつもどうすすればこのような事件を防ぐことができるのか、また被害に遭われた方々やその家族の心情に重きを置いた報道がなされる。

 私はこのような事件を見たときにいつもこう思うのである。私自身が被害者、加害者どちらの立場になる可能性もあったと。被害者も加害者も私の分身であるような、そんな気持ちになる。

 人生の過程においてどのような目に遭ったとしても、見ず知らずの人を攻撃するようなことをしてはいけないのは当たり前のことだが、それでも一つ間違えれば私自身があの加害者のような立場になっていた可能性はある。

 世の中から虐げられて、周りの人から冷たくされて、独りぼっちで泣いた夜を経験したことはないか。私にはある。

 私は何度かそんな困難な時期を経験した。人生はクソだと思ったし生きてることを辛いと思った。

 

 通り魔事件と言うのは決して一人の狂った人間が善良な市民に無差別に襲い掛かる事件ではない。その1人の犯罪者は世間を構成する私たち全員が作り出したものであるし、そういった困難に直面している人々に手を差し伸べるのも大切なことだし、そしてなにより、そんな困難な状況に陥らないよう誰もが生きていて楽しいと、幸せだと実感できる社会を作ることが重要だと思う。

 そしてそれは社会というものを構成している私たち1人1人の責任なのだ。

 

 


終わらない歌 歌詞付

 

老後

 前回の日記では女友達のAちゃんのことについて書いた。そしてAちゃんの老後は安泰だと書いた。しかし、当のAちゃんは子育ての真っ最中であるし両親ともに健在で自分の老後についてまで考えることはないだろう。

 しかし私はというと現在51才で仕事も以前ほどは頑張っていなくて、他人にいわせれば ‘‘セミリタイヤ’’したようなものらしい。実際のところはそれほど気楽なものでもないのだがやはり30代、40代と比べるとゴールがすぐそこに見えている分だけ気楽なものだし、あとこのままのペースでなんとか10年走り続けれれば安定した老後が待っていると思う。

 世の中には生涯現役とか70才もしくは可能な限り長く働きたいという者も多いが私はなるべく早めにリタイアしたいと思っている。中には仕事を辞めてブラブラしていたら健康に良くないし頭もボケるなどと言う者もいるが、それは人それぞれで私はリタイア後にやりたいことが沢山あってその日がくるのを待ちわびているくらいだ。

 退職後は友達も少ないので人間関係が希薄になると心配している者も見かけるが、私は元々煩わしい人間関係は好きではなく近頃は独りで行動することが多いのでその辺りのことも心配していない。

 あと何とか10年。10年上手くしのげば20代の頃から夢に見ていた老後が手に入る。(笑)

 

 

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将来は安泰

 私の古くからの友達、女友達Aちゃん。今ではもうすっかりミドルエイジ。

 思えばAちゃんと初めて出会ったのが私が26才でAちゃんが18才の時なのでもうかれこれ四半世紀を超える付き合いになる。若い頃はいつも一緒にバカばかりしていたAちゃんであるが今では立派に2人の子を持つ母である。その子供たちにお父さんはいないが・・・。 それでもまぁ頑張って女手ひとつで11才と9才まで育て上げたのだから立派なものである。

 Aちゃんは結構なガラクタで、男と付き合っても長続きした試しが無かった。そんなAちゃんの結婚はもちろん「できちゃった婚」である。Aちゃんが結婚するときのこと、私は少ないながらも祝い金を渡しながらAちゃんにこう言ったのを覚えている。

『嫌なことがあっても3年は我慢しろよ。生まれてくる子供が可哀そうだから何があっても3年は我慢しろ。』

 Aちゃんは私の言いつけ以上に頑張り結婚生活は5年も続いた。が、やはり私が思っていた通りその結婚生活は破綻してしまいAちゃんはシングルマザーとして再スタートを切り、子供たちは実家から手助けしてもらいながらも元気に育っていた。そして、先週末はその子供たちがAちゃんの実家に泊まりに行っているということで久しぶりにAちゃんと飲みにいってきた。その席上での話。

 Aちゃんはしきりに子供たちが可哀そうだと嘆く。Aちゃんが言うには、自分は誰と付き合ってもうまく行かなかったし結婚生活もたったの5年しかもたなかった。自分は誰ともうまくやっていけない性格に問題を抱えた女である。にも拘らず、子供たちはこんな私の子供として生まれてしまい、自ら選んだワケでもないのに私の子供として生きている。こんな不幸はない、と嘆くのである。

 確かにAちゃんの言うことはもっともだ。本当なら2人いるはずなのにそれが1人しかいなくて、しかもそのたった1人の親が性格異常者なんてたまったもんじゃない。Aちゃんの2人の子供には心底同情する。

 と、いうのが私の本音であるがそれを言ってしまうと身も蓋もないので形だけでもAちゃんを励ましてやった。しかしまぁ、そんなことを考えるというのはAちゃんも親として成長した証であるし、そして何よりAちゃんの実家はかなりの資産家で、近い将来Aちゃんの元にその資産が転がり込むのは間違いないし、AちゃんもAちゃんの子供も未来は明るいと思う。

 Aちゃんももう44才か~。バカなことばかりしていた20年前が懐かしいよ。。

おっさんは反省しない

 昨日の統一地方選、私の住む大阪では維新の圧勝で終わった。何年か前に大阪都構想住民投票をおこなって負けた結果に代表の橋下徹が政界を引退することになったのに、それでも未だに都構想を争点に選挙をしている。元代表橋下徹も政界復帰をネタに公明党に脅しを掛けるような真似をしている。私は維新も自民も公明もみんな嫌いだ。それなのにその受け皿が共産党しかないというのでは完全に手詰まりだ。昔から大阪にはロクな政治家がいない。思うにこれは江戸時代、首都から遠く離れているにもかかわらず幕府の直轄領だったせいではないだろうか? いやいや、この考えは飛躍しすぎか。

 さて、先日 釈放された「コカイン瀧」ことピエール瀧の件であるが、彼が出演する映画やドラマはほぼそのまま放送、上映するそうである。おそらく誰もそれほど悪いことをしたと思っていないのだろう。そりゃあそうだ、被害者なんか存在しないのだから。当の瀧氏だって絶対反省なんかしていないだろう。

 そもそも何故コカインの吸引が犯罪かというとそれは我が国の法律でコカインを禁じているからにすぎない。もしこの国で飲酒が禁じられていたとして、誰にも迷惑を掛けずこっそり酒を飲んでそのことで捕まったとして、にそのことについて反省するかい?

 こう書くと極論かもしれないが、コカインの吸引と自動車のスピード違反、どちらが重大な犯罪だと思いますか? 大幅な速度超過は重大な事故をおこす可能性があり、最悪の場合 複数の人の命を奪うこともあります。しかしそれでも世の中には30Km以上の速度超過を犯す人は多くいるし、そのことで捕まっても「運が悪かった」程度にしか思わない輩が多数存在します。

 おそらく今回の事をきっかけに この国での個人主義というものは大きく変わるのではないでしょうか。私はそんな気がします。。

フェルメール展に行ってきた

 50の手習いという程ご大そうなものではないが、暇な時間に鉛筆でデッサンなどをすることを覚えてから自然と絵には興味が向かう。「好きな画家は?」と聞かれれば答えることも迷うことも出来る程度に知識はついてきた。ただしかし、私程度の者には絵の取引価格と絵の価値を切り離して考えることはなかなか難しい。

 写実主義はあまり好みではないが、それでもやはり学校の教科書で見た絵が実際に見れるとなると行ってみたくなる。そんなワケで昨日は大阪市立美術館フェルメールとその時代の絵を見に行ってきた。

 昨日は天気も良くまた美術館がある公園にはたくさんの桜があり最高のお出かけ日和だった。平日の昼間だというのにフェルメール展は賑わっていてフェルメールの人気っぷりが伺える。フェルメールの作品自体は6点しか展示されていないのだが、同じ時代やフェルメールから影響を受けた画家達の絵が多く展示されていて、それなりに楽しませてくれる。

 今までフェルメールを評する言葉として「光の画家」とか「光と影の魔術師」という言葉をよく目にして、その言葉からきっと陰影の付け方が絶妙なんだろうなと想像していたが実物をみるとその想像をいとも簡単に覆してくれる。やはり絵は本物を見ないといけないんだな~と当たり前のことを思い知らされた。

 先にも書いたが、気候と天気が最高に良く、桜がいっぱい咲いている日にフェルメールの絵を見るなどというのは人生の中でも指折りの好日だったのではないだろうか。

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桜と通天閣

 

ステッカー

 若い頃はステッカーというものがあまり好きではなく自分の持ち物にステッカーを貼るということはほとんどなかった。昭和の終わり頃、私の住む大阪ではFMラジオ局のキャンペーンで多くの車がバンパーステッカーを貼っていたが私は見向きもしなかった。

 それがどういうワケか近頃ではステッカーが大好きで行く先々でステッカーを物色し気に入った物を見つけたら購入して自分の持ち物に張り付けている。いちばん多いのはスーツケース、次にクルマ、そして手帳などだ。

 それがカッコ良いかといわれれば間違いなく格好悪い。ましてやそれを持っているのが50代のオヤジだとしたら格好悪さも3倍増しだ。しかし、それでいい。

 近頃まわりの目が気にならなくなってきた。自分の着たい服を着て持ちたいものを持てばいいのだ。まだまだ勇気が足りないことも多いけど、私のような小市民はこういうところから始めていかないとなかなか自由になれないのだ。自由に生きるための訓練としてステッカーいっぱい貼り続けます。。

 

 

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802 バンパーステッカー

 

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